Almost Famous.

怠惰なのに疲労感がある。これは良いことじゃない。なんだかダルい時期だ。何を書いたって1円にもならないなんてのは罪なことだ。本は読んでいるよ。勧められている本を次々と読んだ。また借りに行こう。そして珍しい企画に連戦連勝で来たのだけど、再び連勝記録も止まる。だって馬鹿なんだもん。その前に食べた味噌ラーメンのことの方が覚えているってどういうことだい。まぁ仕方ない。人は人で変わるものだ。すべて仕方ない。それはきっとハンバーグを食べることよりも重要なことなんだね。

見たよ、あの映画を再び。


感じの良さは大切だし、また会いたくなる要素の1つだと思う。シェラスコを食べた後、猛烈に眠気がやってきて、あっと言う間に眠りに落ちていた。次に目が覚めたら0時44分だった。その後に目が覚めたのは2時55分だった。その時、気が付いたら、真夜中の部屋の枕元に絶望と虚無が立っていた。それは2つの分離したものではなく、1つのエンティティだった。イメージだけど、青白く、脚が長かった。そこではなんの抵抗もなく、ただ私は連れていかれるばかりだった。誰かが大人になったからだろうか。誰かが重い病気になったからだろうか。私は虚無だった。なので、ひとつだけ言い訳をした。あと、少し。そう、私はお見舞いにだって行くことだってできる。

私は忘れていない。しかし不意の訪問には正直驚いたよ。電車の中吊りで、綺麗な山と傘を見た。それは前触れだったのだろう。関西も大変なことになった。いろんなイメージが混濁した。ひどく眠い。和笛の音色を聴きたい。


啓示のようなもの。吉井さん、とんでもない曲ですね。私は本当に心を打たれました。宗教のこともたまたま考えていたのです。哲学的な思索かもしれません。すべてのことが錯覚なことはわかります。しかし今の私には、あちら側にも書いたように、誰でも良かったなんて嘘をついて人を襲ったり、まだ歳も幼い子供をひどい目に合わせたりすることにひどく怒りを覚えます。それにしても、本当に素晴らしい曲ができましたね。神にはいてもらわなければ困る。この素粒子のどこにそんな妄想があるというのでしょうね。しかし、交信することがとてつもなく不思議なことです。コーヒーショップで椅子に座ると、清潔そうな身なりをしたサラリーマンの香水がのどを刺して、ひどく痛いのです。なぜこんなことになるのでしょうか。においも分子が運んでいるのかもしれませんが、神という概念は何によって運ばれるのでしょうか。すぐに会いに行きます。今はそれだけが楽しみです。良い瞬間のイメージが次々と浮かんできます。誤魔化しの効かないものだけが人の記憶には残るのでしょうか。質量もエネルギーも錯覚でしょうか。人類の滅亡は、想像力のせいなのだろうと思います。良いイメージも錯覚のはずなのに、気付けばそれを抱きしめています。だから私はもう少し待つようにお願いをしたのです。この歌の通りです。祖母は島には戻れませんでした。私もそうするわけにはいかない気がしています。ささやかな抵抗です。私のこの文章であなたが妙にならないことを願っています。そうでなければここに書いている私のことをどう思ってくれても構いません。花が揺れています。あなたより遥か前から、あなたより遥か後まで。私も何かに近付いています。明白に、不可避的に。それはあなたのことでもあるのです。その意味では私もあなたと同じです。悲しませてしまって申し訳ないと思います。しかし悲しくないこともまた誤魔化しなのです。ただ、それと同時に悲しみも錯覚です。私はここに書くのを好きでやっているのですから。

櫻井の日々。-破

惑わされずに寄り添っていて。

0コメント

  • 1000 / 1000